※本商品は冊子体の書籍です
加藤光寳 著
『わが看護人生に悔いなし』
NHK連続テレビ小説「風、薫る」のモデル・大関和研究の
第一人者・加藤光寳の「悔いなき看護人生」
東京大学医学部附属看護学校を卒業後、東大病院で32年間にわたり
臨床で看護・看護管理に従事したのち、大学教員や看護学校長として
看護教育に携わった著者・加藤光寶。
NHK連続テレビ小説「風、薫る」のモデルとなった「大関和」研究の第一人者でもある。
看護一筋の道を臨床・教育・研究において歩み続けた「悔いなき看護人生」を、
ときにユーモアを交えながら振り返る。
看護を取り巻くその時々の空気を伝えながら記される著者の歩みは、
今日の看護が歩んできた歴史の1ページでもある。
目次
はじめに
第Ⅰ部 看護の基礎と臨床はすべて東大で学んだ
第1章 そうだ 看護学校に行こう ~昭和32(1957)年
1 看護を選ぶまでの日々
私の終戦体験/戦争に負けるとおなかがすくんだ/すし詰め教室とハンチング帽
2 経済的自立を目指し─看護学校に行こう
なぜ看護婦になりたかったか/今も看護を選んだことを後悔していない/将来の職業を決めるということ
第2章 看護学生になりました 昭和32(1957)~昭和35(1960)年
1 東京大学医学部附属看護学校に入学
かっこよかった先輩看護学生の姿/昭和32年入学、8回生の48名の仲間たち/初めての寮生活/寮生活アラカルト
2 当時の看護学実習の環境
「完全看護」から「基準看護」へ/看護の自立をめざして待遇改善の活動
3 とにかく、よく勉強しました
国家試験は全員合格/モーニングケアで「しかられて」/生理学者オパーリン先生の講演を聴く/薫り高い看護学の講義の逸話/「癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩」/変革期にあったリーダーからの大きな学び
4 看護学生の暮らしと遊び
憩いの場「喫茶店ハワイアン」で生バンドを楽しむ/アメ横のバナナのたたき売り/社交ダンスパーティ/「三等寝台」で登山旅行/ツーテンジャックでしかられ/寮母さんにもしかられました/隅田川でボートを漕ぐ
第3章 看護婦デビューしました 昭和35(1960)~昭和42(1967)年
1 就職は東京大学医学部附属病院に
当時の看護を取り巻く環境、職場の状況/新人看護婦の自分に投資しよう─夜間大学に入学(昼は仕事、夜は勉強)/整形外科手術室に配属/入職した日の教授の言葉/主任看護婦の言葉「看護婦の免許持っているんでしょう」
2 私の手術室での仕事始め
仕事の覚え方─私の「黒革の手帳」(みっちゃん)/毎日同じ動作をすることで手関節運動痛に
3 就職して半年後に病棟勤務となる
病棟主任看護婦の責任範囲/当時の仕事は縦関係
4 外来へ配置換え
①診察室の仕事 ②ギプス室の仕事 ③処置室の仕事 ④手術室の仕事
5 仕事で本当に欲しかったのは実務書
現場で学ぶしかなかった/実務書が書けるようになりたい
第4章 若くして主任看護婦になって 昭和42(1967)~昭和59(1984)年
1 看護婦増員闘争・安保闘争時代
職場環境─カリキュラムの改正、IT化の進行/看護業務を無理なく担えるように/東大闘争時代の特異な働き方/「看護部」の誕生
2 主任看護婦という中間管理職
一番若い主任看護婦でした/中間管理職と組合員─職場での様子/卒後院内教育のこと
3 私の看護曼荼羅
看護が見えた、看護が見える/歯抜けババアのブスばかり/明日から編み物ができなくなるから/ママが頑張れって言ったら、アコはもう頑張れない/食事を知らない小学生が新人ナースを泣かせた/「関わり技法」を駆使して心に添う
4 中間管理職として行ったこと
ベッド数(患者数)から看護度を割りだし内容調整/「引き継ぎ」(申し送り)の改善/患者受け持ち体制とそのフォロー体制/指導書・オリエンテーション冊子の作成─「リーダーシップ事始め」/主任看護婦の仕事
第5章 看護婦長時代の私 昭和59(1984)~平成5(1993)年
1 婦長になった時代の背景
改めてこれまでの時代背景を振り返ると/東大病院看護部に博士看護部長の誕生/看護学としての「看護管理」「看護教育」/私の新人教育/新人看護婦に「大学進学」を勧める/自由参加の早朝学習会/先輩看護婦に過去・現在を学ぶ
2 私の新人教育
3 婦長の仕事とは人材育成
4 体験的看護管理覚え書
婦長には気概が必要/婦長は器がものをいう/雑学のすすめ/聞き上手に/「その日が無事ならいい」では駄目
5 ご縁に導かれて
第Ⅱ部 看護学教育に転身する
第1章 新潟県立看護短期大学の教授として 平成6(1994)~平成18(2006)年
1 第一歩を踏み出す
新天地で出会った大関和と「高田病院」/常磐大学大学院を受験
2 短大での教育方法
かるがも実習/開かれた大学をめざして─地域との交流/学生の希望で週一回の抄読会
第2章 獨協医科大学看護学部の開設に教授、学部長として関わる
平成19(2007)~平成25(2013)年
1 「看護婦さんに高学歴は必要ですか?」
2 医師との軋轢─今も引きずる課題
第3章 最後は報徳看護専門学校校長として 平成26(2014)~平成31(2019)年
1 モットーは「至誠、勤労、分度、推譲」
2 学びの多かった穏やかな日々
おわりに
※本書は雑誌『看護実践の科学』(2017年5月号から12回、看護の科学社)に連載したものに加筆修正、再構成したものです。
書籍『わが看護人生に悔いなし』
- 1937年7 月3 日茨城県に生まれる。
- 1957年東京大学医学部附属看護学校入学(8回生)、1961年東京大学医学部附属病院に就職、共立女子短期大学国語専攻(夜間)に入学。
- 1966年主任看護婦、1982年千葉大学看護実践研究指導センター1 期生として入学、1984年看護婦長に就任。1993 年東京大学医学部附属病院退職、常盤大学大学院人間科学研究科修士課程入学。
- 1994 年新潟県立看護短期大学教授、2006年同退職。
- 2007年獨協医科大学看護学部教授・学部長、2013年同退職。
- 2014年報徳看護学校校長、2018年同退職。
- 主な著書に『(系統看護学講座) 成人看護学 10 運動器』(共著、医学書院)、『 (新看護観察のキーポイントシリーズ) 整形外科』(編集、中央法規出版)、『(看護計画シリーズ) 運動器疾患患者の看護計画 』(医学書院)、『(疾患別看護双書〈15〉)骨・関節疾患患者の看護―病態生理から生活指導まで』 (共著、医学書院)、『Take it easy!臨床実習― 看護婦さんってステキ! 』(共著、中央法規出版)など著書多数。

